あぁ。K.Z.N.です。
最近夜が眠れません。
ってことで今回はプロフィールにも書いてますが僕がかつてメジャーデビューした時のお話したいと思います。
元々は音楽好き
中学校時代にバンドに目覚めてそれまでモノをねだったことが無いのに
「ギターが欲しい」とかなりねだって買いました。
そう言えば最終的には父ちゃんがお金ほとんど出してくれたなぁ。
(関連記事:父ちゃんの遺産で無職生活やってます - こざーーーな!!!
)
もはや30代以上にしか分からないであろうバンドマンの聖書とも言える
宝島社発行の『バンドやろうぜ!』に載ってたギターを買いました。
初心者セットとかいうので10Wのミニアンプにピックやらフィンガーイーズやらクロスやらちっちゃいコードブックがついてて8万とかだったかなぁ。全然覚えてないや。
謎のメーカーのレスポール。ボディがちっちゃくて薄かった。
すぐネックが反った。ハイフレットに行くほど「これ握力鍛えてんのん?」ってくらいの順反り。
それで一生懸命練習したもんですよ。
ジャカジャカ。
LUNA SEAから入ったものの、高校時代にメロコアとかハードコアもやってみたり。
ハイスタもやったしマッド、ブラフマンとか。
高校時代には5つつとか掛け持ちしてたと思います。
そして高校生限定のライブのイベンターみたいなこともしてて地元でそんなのしてる奴いなかったので地元の新聞社から取材とか受けました。
大学でガチ勢に圧倒されて音楽辞める
んで大学入って軽音サークルでやるぞってなったんです。
んで入ったサークルがガチ勢。
みんな学業よりバンドな人が多くて。
バンド活動のせいで留年してる人や世界的に有名なミクスチャーバンドLimp Bizkitの日本人ギター最終選考に残った人なんかもいました。
今でもそのサークル出身で音楽活動している人がいます。
僕なんか確かにガンガンバンドやってましたけど何と言うかミーハーレベルだったんです。
一日中サークルの練習場で楽器の練習したり、
溜まり場でひたすらマニアックな音楽談義する人たちを見て
「あぁこりゃレベルが違いすぎる」と気付かされました。
ということで結局そのサークルを辞めてしまいました。
大学1年の頃です。あっと言う間だったなぁ。
ひょうんなことからまたバンドに誘われて初ライブで音楽事務所がつく
そっからはきちんと単位とりながらもプライベートは麻雀三昧。
2年の終わりからは家庭教師のバイトや営業スタッフなんぞもやり出して。彼女なんかも作ってフラれたり。
まぁフツーの大学生。
そっから大学院に進学することになります。
元々教師目指してたんですがもう少し勉強したいなというのがありまして。
そして大学院入学直後にかつて所属していたサークルの知り合いから
「バンドやるから手伝ってほしい」と連絡がありました。
久しく音楽もしてなかったので軽い気持ちで手伝いをしてたら。。。
初めてのライブでいきなりとある音楽事務所から声をかけられました。
聞いてみるとなかなかの大きな事務所。
びっくりしました。
ちやほや度がエグい。
その事務所は東京の中目黒。
大学は京都だったので月に何度か深夜バスや新幹線で東京へ。
しかも大学院の学費を自分で稼いでたのでバイトも週4〜6日とかでほぼフルタイム。
バンド・バイト・学業どれもハイレベル。
それでも頑張れました。
だってちやほや度がすごかったからw
事務所で打ち合わせすると飲みに連れて行ってもらえる。しかも結構高いところも。
そこで大人たちがちやほやしてくれる。
好きなもの頼みなよとか音楽がいいとかキャラがいいとか。
ありゃあいい気になっちゃうよねぇ。
友達周りもまぁこうちょっとはちやほやしてくれるやないすか。ねぇ。
んで結局教師目指すために大学院行ってたのに周りからの説得もあって音楽の道に進むことにしました。
あれよあれよとメジャーデビューの話に
ミュージシャンが事務所(レーベル)と契約する形態の一つに「ショット契約」というのがあります。
どういうものかと言うと「うちの事務所でCDを1年で1枚出す」とか「2年で2枚出す」という契約です。
以降の契約はその売り上げ次第だよと。
逆に言えばその後に違う事務所と契約してもかまわないです。後味悪いかもですが事務所としてもリスクを避けられる契約です。
僕らは2年で2枚出す契約でした。
1枚目はラストラムというインディーズの流通。
2枚目はキングレコードからリリースしました。
キングレコードったら今じゃAKB48さんとかですねぇ。
地に足ついてない感がエグい
ここまでいくと凄いんですが。。。
最初に触れたとおり僕、スタートがお手伝いなんですよ。。。
楽譜読めるわけでもねぇし、作曲もしてねぇし。
おんぶにだっこ状態で来てしまってるわけですよ。。。
リリースの度に雑誌やメディアのインタビューとか撮影とかあるんですけどこれが常に半笑いになってしまうというか。
「なんでこんな状況なってんだ???」
ってちょいちょい思ってしまうんです。
だってこう、アーティストとして扱ってくれるじゃないですか。
撮影の時なんか衣装さんがいて色んな衣装に着替えてみたり。
カッコつけて撮るのがもうどうにも。
全部がフワッフワッしてるんですよ。
スキルの無さが辛くなる
そして極め付けがコレ。
担当パートがギターなんですがこれがもう全然上手くないw
楽曲のギターのフレーズはほとんどリーダーが決めてました。
それをレコーディングの時に僕が弾くんですが。。。
全然弾けないでやんの。
事務所のスタジオで外注のエンジニアさんが来て
レコーディングしてたんですが
ちょっとしたワンフレーズを100回以上撮り直すとかありました。
そうなるともう
。
「なんのフレーズひいてるんだっけ?」
「なんでここにいるんだっけ??」
「なにしてるんだっけ???」
ってなりました。何度も。
結局辛くてやめる
そうこうしてるととかく何してても辛いんですよ。
何が正しくて何が間違ってるのかよく分からなくなる。
んで結局バンドを脱退することになりました。
全くの0スタートでもう一度バンドをやってみる
その後、もう一度バンドを組んで活動するのですがそれは事務所の後ろ盾も何もない状態。
今までいかに温室育ちだったかを思い知らされることになります。
例えばライブハウスに出演するときも事務所に入ってる時は周りのバンドマンも一目置いてくれたり、
ライブハウスの店長もなんか贔屓にしてくれる感じがあったのに全くそんなのがない。
宣伝もレコーディングも全部自分達。金も手間もかかるかかる。
音楽事務所からのお声もかからず。
結局5年ほどでそのバンドも解散しました。
まとめ
メジャーデビュー自体はそう出来ることでもないので人生の経験としては非常に有意義だったのかなぁと思います。
一方でどんだけチヤホヤされても地に足がついてない状態がしんどいことも気付かされました。
後、音楽が好きでもプロのミュージシャンとしてのクオリティで出来ない事にも気付きました。
事務所の人から言われた言葉で忘れられないのが
「ミュージシャンは親の死に目に会えないんだよ」
という言葉です。
プロでも色んな人がいて色んなスタンスで音楽活動していると思いますが事務所に所属する場合、支えてくれる人がいるわけです。
言わば、その人たちの人生も背負っているわけです。
その覚悟が足りなかったと思います。
バンド辞めて2年。メサブギーのアンプなど機材をかなり売り払いましたがその中で手元に残してあるギターを見るとたまにあの頃を思い出します。